知られざる名戦闘機 二式戦 鍾馗

知られざる名戦闘機 二式戦 鍾馗

2024年1月28日

 第二次世界大戦中の大日本帝国陸軍の戦闘機。制式番号は「キ44」。『鍾馗』(しょうき)の愛称で知られる。
 『鍾馗』とは、中国で鬼を退治したという伝説の英雄で、疫病神を祓い、魔を取り除くと信じられてきました。
 この機の特徴は大馬力エンジンに小さい主翼など、一撃離脱戦法に特化した設計で戦中実用化された陸海両軍機のなかでも、アメリカ軍からは『迎撃戦なら最適の戦闘機』という評価を得た。
 1937年から1938年にかけて、陸軍航空隊は三つの異なるカテゴリーの戦闘機の研究と開発に着手した。まずひとつは、それまで世界の空軍で主流だった格闘戦性能を重視した軽単座戦闘機。二つめは、重武装で速度を重視し一撃離脱戦性能を重視した重単座戦闘機。そして三つめが、長距離双発戦闘機である。
 このうち、軽単座戦闘機は「隼」。これに対して重単座戦闘機も、「隼」と同じ中島飛行機からの陸軍に対する回答であり、「隼」の「キ43」に対して次番の「キ44」とされ、一撃離脱型の戦闘機として開発が進められた。
 だが、「隼」の成功によりやや開発は遅れ、1940年10月の初飛行後、増加試作機で部隊を編成し太平洋戦争の緒戦に参加し、その実績により1942年2月に二式戦闘機「鍾馗(しょうき)」として採用された。のちにハ41を出力向上型のハ109に換装し、性能が向上した二式戦闘機二型(キ44-II)が1942年12月に採用されている。その結果、それまでのハ41を搭載した二式戦闘機は一型(キ44-I)と称されることになった。
 従来の日本製戦闘機に比べて速度は速いが運動性に劣り、着陸速度が速く離着陸時の前方視界が悪い「鍾馗」は、従来の機種に乗り慣れたパイロットには当初敬遠される傾向があった。しかし本機に習熟したり最初から本機に乗ったパイロットは、太平洋戦争中期頃からは常態化した一撃離脱の戦いに適合した機種として、高い評価を下している。
 だがそれでも、従来の陸軍戦闘機とは戦闘機としての性格がかなり異なる「鍾馗」について、初期には「暴れ馬」などと呼んで未熟なパイロットを乗せるのを控えた時期もあった。
 もっとも「鍾馗」は、日本陸軍内での評価は低かったが、外国では高評価だった。戦後、アメリカ軍は捕獲した本機を用いて性能評価を行ったが、その結果、「第二次大戦の日本の陸海機の中で最良の迎撃戦闘機」という評価を付けている。
 しかし、「大東亜決戦機」と称された優秀な万能戦闘機「疾風」(はやて)の登場により、「鍾馗」は1944年末に生産終了した。