ロケット戦闘機「秋水」の魅力

ロケット戦闘機「秋水」の魅力

2024年2月1日

秋水グッズが新発売!。まずは定番のTシャツから!

試製秋水
試製秋水
三菱重工 復元秋水
三菱重工 復元秋水
秋水 陸軍70空
秋水 陸軍70空
秋水 海軍312空
秋水 海軍312空
秋水 本土防衛
秋水 本土防衛

  私ごとで恐縮ですが、大好きな「局地戦闘機 秋水」その魅力は「震電」を超えています」。
 それは、やはりプラモでは飽き足らず、自作までして飛ばしたこと。そして実物を見てきたこと。
 秋水の魅力は、大抵の方が「ロケットエンジン」だと言います。確かに唯一のロケットエンジン機。
 この時代にプロペラを持たない先進的な機体であったことは言うまでもありません。
 しかしながら私が思う秋水の魅力は、その機体そのもの「無尾翼機」にあります。
 先進的な後退翼にずんぐりとした短い胴体。大柄な垂直尾翼。そしてロケットエンジン。
 飛行は過激で、ロケットだから、超猛スピードで舞い上がって、すぐに燃料が尽きてヒラヒラと降りてくる。「一撃必殺」で勝負する正に振り翳した「刀」。儚く潔いその姿に哀愁を感じるのは私だけでしょうか。
 この未来的な飛行機の元は、実はドイツで生まれました。その名は「メッサーシュミット Me163」。

秋水のお手本はドイツ リピッシュ博士の傑作「Me163」

 Me163誕生のきっかけは1938年、ドイツ滑空機研究所のアレクサンダー・リピッシュが製作した無尾翼モーターグライダー機DFS 39に、ヘルムート・ヴァルターの開発する高濃度の過酸化水素を主成分とするT液とヒドラジンとメチルアルコールを主成分とするC液を使用するHWK-R1ヴァルター式ロケットエンジン搭載テストをドイツ航空省が申し入れたことによる。このロケット機はDFS 194と命名。DFS 194はメッサーシュミット社で開発が続けられ、1939年末に初飛行を成功させる。無尾翼機というリピッシュ博士の設計の先進性が開発を後押しました。
 DFS 194の改良型であるMe 163Aは、1941年の滑空テストではダイブ時に最大速度855.8km/hを記録して空力的な設計の確かさを証明すると、遅れて完成したHWK-R2-203を搭載してロケット飛行を成功させた。1941年10月のテストでは最大速度1,011km/hを記録した。この当時としては破天荒な高速性能を受け、ドイツ航空省は実用化を決定し先行量産型Me 163B-0を70機発注した。

ドラマチックな「秋水」開発物語

 1944年4月、日本海軍の伊号第29潜水艦は ロケット戦闘機 Me163Bと ジェット戦闘機メッサーシュミット Me262の資料を積んでドイツ占領下フランスのロリアンを出発し、7月14日に昭南(シンガポール)に到着したものの、出港後バシー海峡でアメリカ海軍のガトー級潜水艦「ソーフィッシュ」に撃沈されてしまった。
 しかし、伊29潜に便乗した巌谷英一海軍技術中佐が昭南から零式輸送機に乗り換え、空路で日本へ向かっていたために「噴射機関」資料の完全な損失は避けられた。だが、もたらされた資料は本機のコピー元であるMe163Bの機体外形3面図と、ロケット燃料の成分表と取扱説明書、燃料噴射弁の試験速報、中佐直筆の実況見分調書のみであった。そのため、設計そのものを完全にコピーすることはできなかった。
 手に入ったMe163Bの設計資料が不十分であるため、日本の技術で補完する必要があった。同機の機首部に見られる発電用プロペラは搭載せず、無線装置とその蓄電池搭載のために機首部は延長されており、内部の桁構造やキャノピーなども日本独自の設計となる。主翼も木製になり左右が10 cm程度ずつ延長されている。機体の特徴である無尾翼はすでに東京帝国大学航空研究所で木村秀政研究員が同様の機体の設計を手がけており、またロケットエンジンの研究は1940年(昭和15年)より陸軍航空技術研究所で開始されていた。

 秋水が開発されるにあたり、機体の製作を海軍主導で、国産ロケットエンジンの開発を陸軍が主導で行うこととなった。これは陸軍で「特呂二号」、海軍で「KR-10」と呼称された。犬猿の仲の陸海軍が合同研究したのは大変珍しいケースでした。
 しかしここに来て三菱は無尾翼機の開発経験がなく、前記の通り外見図も簡単な3面図のみだったため翼形を決定できなかった。そのため三菱は依頼当初「開発は不可能である」と返答した。しかし海軍航空技術廠が翼形の割り出しや基本的な空力データの算出を急きょ行った。
 機体の設計は基本となるデータが入手できたため経験で開発を進められた。しかしロケットエンジンという未知のエンジンの開発にレシプロエンジンで培った技術はほとんど役に立たなかった。
 秋水に搭載されるエンジン「特呂二号」は、Me163Bに搭載されていたヴァルター機関「HKW-109/509A型」のコピーとなるはずであったが、機体と同じようにエンジンの資料も簡単なものだったため手持ちの資料を参考に自主開発するほかなく特に苦労したと言われている。

 このことから、「秋水」は完全なドイツ機「Me163」のコピーではなく日本固有の技術で開発された全く別の機体であったと言っても過言ではありません。むしろヒントを与えられただけだったところから、わずか1年でここまで完成度の高い飛行機を作れたことに感動いたしました。コンピュータなどない時代、当時の技術者たちの高い技術力と開発魂には頭が下がります。
 潜水艦の撃沈から始まった「秋水開発物語」は実にドラマチック。「秋水」で一本映画ができそうですね。山﨑監督、今度は「秋水」いかがですか?

秋水はどこにいるの

 現在、愛知県 大江 三菱重工 「時計台航空史料室」では、航空機技術の黎明期である大正期から第二次世界大戦終戦とその整理期である昭和20年代までの資料を展示。その中に実機「零戦52型」と並んで精密に復元された実機「秋水」が展示されています。他はアメリカです。
(写真は、以前(20年以上前)秋水が展示されていた「三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所史料室で撮影されたもの)

三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所史料室での秋水と零戦

自作RC秋水を飛ばしてみて

 秋水が好きすぎてプラモデルでは満足できず完全自作でラジコン飛行機を制作。発泡スチロールとEPPで軽い動体を作り、ロケットは作れないので、近いプッシャー小径ペラを高回転で回しました。着脱式ドーリーなど付けてなるべく実機に近い形にしました。エレボン(エルロン/エレベーター兼用)仕様。
 飛ばしたら正にロケットスピード!「速すぎて目が追いつきません。見失いそう。でも完全に制御できます。」速くても機敏な機体に無尾翼機の素晴らしさを知りました。もう20年若ければ良かったかな(笑)

初飛行の模様が動画で残っています。めっちゃ速いっす。(残念ながら本機はメルカリで売ってしまいました。)